「〝自らの手で自己を創造せよ〟
これは、ある有名な団体の創始者の言葉である。
逆境に潰される人もいるが、逆境に鍛えられ勁くなる人もいる。その違いはただ精神力だけである。
精神力が身体を鍛えさせ、鍛えた身体がより心を勁くする。まず、何ものにも負けない精神を創ることであり、それは決意次第で出来ることである。
〝力の伴わない正義は無力なり〟これも創始者の言葉である。拳拳服膺すべきである。
心も身体も強くあれ。そして、人として賢くあれ」
『あらた・てんしょう
今日の言葉を』vol.97
「〝紳士たれ〟
武道をしている者がよく陥る陥穽に〝どちらが強い〟がある。
心と身体を鍛えるのが武士の嗜みである武道であり、強い弱いは武術家やチンピラの世界である。
若い間は良い。私も強さを求めていた時期がある。しかし、その段階を早く抜けなければならない。
賢くあれ、そして社会に役立つ人間に成れ、と教える事が出来てこそ指導者であり、指し導く者である。
〝拳士たる前に紳士たれ〟といつも自分に言い聞かせている」
『あらた・てんしょう
今日の言葉』
vol.98
「〝正しきを踏む〟
清濁併せ呑む、清流に大魚棲まず、と云う古事がある。為政者の好みそうな言葉であるが、私は余り好きではない。
大陸の河川に棲む草魚や、アマゾン河に棲むピラルクのような大魚に成りたいとも思わない。
大半の日本人は、清流に棲む山女や鮎が好きなのである。濁を飲む必要はない。
〝正しきを踏む〟ことが出来ない者が濁を呑む時、言い訳として冒頭の古事を持ち出すのである。
非常事態宣言下、国の保証を騙し取るような恥ずかしい事をするものではない」
『あらた・てんしょう 今日の言葉』
vol.99
「〝目の位置〟
目が利害ばかりを追うようになると人は弱くなり、他から見て扱いやすい存在に成る。
士(サムライ)は武士の子として育てられるから腹を切ることが出来る。商人の子は、あきうどとして育てられるからお金のために頭が下げられる、と何かで読んだ事がある。人をつくるに当たって、斯程教育は大切と云う事である。
創始者の声が未だに耳朶を打ち続けている私は、損得を超えた所に目の位置を置くように努めている。残りの時間、自分の美学に反するような生き方はしたくない」
『あらた・てんしょう
今日の言葉』
vol.100